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2026/05/20 09:29
最近、「AIって結局どうなんですか?」みたいな話をよく聞かれます。
デザイナーという仕事をしていると、なおさらです。
「僕らの仕事って将来なくなりますか?」
「もう人間がデザインする時代、終わりますか?」
「ロゴも画像も文章もAIが作れるんですよね?」
たしかに最近のAI、かなりすごいです。
うちの会社でも普通に使っています。
画像を作ったり、文章を整理したり、会議の内容をまとめたり。
昔なら半日かかっていた作業が、10分で終わることもある。
正直、かなり便利です。
便利なんですが。
なんというか、AIって“全部うまい”んですよね。
いや、うますぎる。
“ちょっと気になるクセ”みたいなものがない。
例えるなら、全科目オールAの転校生みたいな感じです。
運動もできる。勉強もできる。空気も読める。優しい。
でも、昼休みにみんなの前で屁をこいたりしない。
突然、授業中にだんじりの太鼓を机で叩いたりしない。
お道具箱にカッチカチの給食パンを隠してたりしない。
弁当食べたあと、あくび中にゲップして「ふがぁっ」てなったりしない。
なんか、そういう感じです。
いや、別にそれを求めてるわけじゃないんです。
必要だとも思ってない。
ただ人間って、そういう無駄であり無意味なものに愛着を持つ生き物だと思うんです。
効率だけなら、もっと正しいやり方はいくらでもある。
でもなぜか人は、 ちょっと不便な店に通ったり、
クセのある店主の喫茶店が好きだったり、
行きつけのちょっと焦げた生姜焼きを「これこれ」とかいいながら食べたりする。
たぶんそこには、“性能”とは別の何かがある。
最近のAIを見ていると、
「ちゃんとしていること」の価値が、ものすごい勢いで平均化してる気がします。
綺麗な写真。 整った顔のモデル。 それっぽい映像。 しかも、それを一瞬で出してくる。
でも、AIがどれだけ完璧なものを量産できても、
人間が積み上げる非効率な無駄のなかに眠る「愛着」を生成することはまだできないと思うんです。
狙って仕込んだわけじゃないのに、あとから考えると思わずクスっと笑ってしまう無駄と非効率の掛け算による「愛すべき余興」みたいなものに近頃めっぽう人間っぽさを感じます。
この前、子どもとスーパーに行った時、
「あ、今日これつまみたいかも」と目が合ってしまった10%OFFシールの貼られたコロッケを買って帰った。家に着くと妻が同じコロッケを買っていた。
二人で「なんでかぶるねん」って言いながらかぶりつく。
AIなら絶対、もっと最適な提案をしてくれてたと思うんです。
冷蔵庫の残り食材とか。栄養バランスとか。妻の購入履歴なども考慮して。
でも、あの日のコロッケって決して正解じゃなかったけど
僕たちにとっては「あの日はコロッケはやったな。」なんです。
で、案外そういう日のほうが、記憶に残ってたりする。
もしかして僕らの人生の思い出や愛着って、
案外その「無駄な部分」にこそ、たくさん詰まってたりするかもしれない。
そう考えると、 「AI時代に何が残るか」 を考えるより、
「AI時代に何を雑にしたくないか」 を考える方がいいかもしれない。

